幼少期物語

こんにちは
今さらになりますが自己紹介を
最近筋肉について投稿を始めていたのですがそもそも誰?
みたいな
なので自分のことをまずは知ってもらえればと思います
名前 北村雄太 年齢37歳
血液型 O型
11月生まれ 蠍座
新潟県 長岡市生まれ
新潟県 長岡市はど真ん中のオレンジ色
雪はまあまあ多い方ですね

寒い雪の中生まれました
北村家長男として生まれすくすく大きくなった
子供の頃はまだ家にエアコンもなく家の窓を開け扇風機を使うだけで涼しく、廊下で横になってるだけで快適に過ごせる環境で、ごろごろしてるようなグータラ少年でした
しっかりサンタさんがいると思って毎年クリスマスは楽しみにしていました
子供のころは特にフィギュア
今でゆうソフビのおもちゃで兄弟と遊ぶことが楽しくてしょうがなかったですね
みなさんも子供のころそういう遊びしてませんでした?
勝ち負けとかではなくとりあえずぶつけて戦わせるみたいな
そんな遊びをずっとしていましたね
よく飽きなかったと思います
親戚の家に遊びに行った時はおばあちゃんにたくさん遊んでもらい1番ピンポン玉で遊ぶのが楽しかったですねー
みなさんも小さい頃はピンポン玉で遊びませんでした?
手すりの隙間に乗せて転がすように
今思うとたのしくなーいて思いますね
当時は画期的な遊びだったと思い込んでました
俺天才って

兄弟喧嘩もたくさん
めちゃくちゃ怪我もしました
子供の喧嘩なのに武器持ち出したりして
結構激しめでしたね
みなさんもそういう経験ありますよね?

今思い返すと、子供の頃は少し何か出来ただけですごく褒められた記憶があります
流石に1歳、2歳くらいはあんまり覚えていないですが、親に言われたことを一つ一つやってそれだけで褒められる
褒められる為に一生懸命だったかもしれないですね
それこそものすごいスピードで成長していたんだなーと思います
保育園の頃、僕は牛乳ではなかったんです
【脱脂粉乳】
結構衝撃じゃないですか?
みなさん飲んだことあります?
僕は無理でした
ぬるくて美味しくない
この給食の飲み物を飲む時間が最も嫌な時間でした
田舎の保育園でめちゃくちゃ大きくて3階建の屋上にはプール
なのでプールの授業みたいなのもありかなり充実していて、運動場もあってそこで体操やかけっこみたいなのもしていました
何も考えず無邪気に遊んでいたのが懐かしい
体操教室もあり保育園でしっかり習い事もしてました
それと屋上にプールもあったのでスイミングの教室もありました
他にも地域のプールを借りてそこで習ったりもしてました
今考えるとかなり恵まれた環境だった気がします
なかなか授業や教室をたくさんやってくれる保育園あんまりないイメージ
その分大変でしたけど
保育園には中庭もあってそこにはたくさんのアスレチックの小さいバージョンみたいなのもたくさんあり
身体を動かす環境としてもものすごく良かったですね
登って遊ぶやつとか大好きでした
記憶にはあんまりないんですけど
どうもそこから落ちたらしい
子供の頃よくある無茶なことしたんでしょう
あと新潟生まれっていうのもあってスキーもありました
保育園でスキー場に行ってソリや板をつけて習いましたね
土地柄もありますがかなりの英才教育だったと思います
多分雪国育ちの方は同じような方がいるんじゃないかな
もしいたら教えてください
話ましょう
家の近くに小さな川があってそこでもたくさん遊びました
ザリガニやメダカ、他にもつくしやふきのとうとかもありめちゃくちゃ取って帰って怒られた記憶もあります
もちろん子供だったんで自分であんまり世話しなかったんですよね
絶対にだめなのにそういうのができない子供でした
はっきりと覚えているんですけど
その川に後ろ向きで頭から落ちた記憶がありますね
これはびっくりしました
マジで何が起きたのか分からなかった
色々振り返っていると結構無茶してたなー
そりゃ怪我するわ
バカでしたねー
保育園の運動会もあって
結構大きい公園で運動会してました
かけっこや組体操あとは音楽に合わせて踊るとか
足は遅い方ではなかったので割と活躍してたかなと
その時にもらえるメダルが嬉しかったですね
この頃から競争大好きでした
あとは芋掘り
みんなで芋掘りするんですけどあるあるで誰が一番大きい芋を掘るか対決してました
その時は余裕で負けましたね
写真もちゃんとあるはず
実家に
その日の夕飯はもちろん芋料理
僕の親戚の家は鯉の養殖をやっていて山などを持っています
そこで山遊びも出来たし鯉の養殖の手伝いもしました
鯉の選別を子供の頃めていたのですが早すぎて何がなんだかさっぱり
あれは本当に長年の経験と勘が大事なんだなと子供ながらに思いましたね
また新潟は自然も豊かで自然の中の公園とかもあり家族で遊びに行ったりもしました
走る機関車に乗ったりゴーカート見たいのにも乗ったり
男の子が好きな遊びは一通りしました
ただ昭和生まれなので今の若い人たちに比べるとだいぶ地味な遊びをしていたように思います
おはじきとか・・
こんな感じで僕は幼少期を過ごしました
活発で外で遊ぶのも大好き
家族で遊ぶのはもちろん
自然いっぱいのところでたくさん遊びました
また子供ながらに思うところも多々ありました
思ってはいても特に何かは変わらない
また、家の前でビニールプールを出して近所の友達3人とプールしたり
後は花火ですね
兄弟での遊びも楽しかったですけど、友達と遊ぶのもめちゃくちゃ楽しかった
そんな幼少期
小学生編
新潟県 長岡市
上組小学校
1872年 創立
この歴史のある小学校に入学
1学年 2クラスで約40数名の友達がいました
初めてのランドセル、入学式
かなり緊張したのを覚えています
この当時、ランドセルは黒か赤しかなかったなー
今は選べてちょっと羨ましい
1年生の頃はまだ勉強というよりはちゃめちゃに遊んでましたね
友達作り、お昼休みの遊び
授業の最初はまだひらがなとか数字とか
とにかく初歩の初歩だったんですがからっきしダメ
この頃からすでに勉強が大の苦手
やりたくなかった
みなさんの時こういうのありました?

算数用の道具箱
こういうおもちゃみたいなの大好きだったのでとりあえず全然違う遊び方してました
全くの無意味
めちゃくちゃ飽き性だったので
ひらがなをずっと書き続けるの嫌でしたね
やる気なかったなー
真面目な子供じゃなかったな
小学校低学年の頃は4時間目とかで終わりだったから嬉しかったですね
帰りとか友達と神社のところでかけっことか鬼ごっこ、かくれんぼ、ブランコがあったのでブランコしたり
ランドセルなんて投げて置いておいたのでそれはそれは汚くなってました
そんなの気にせず遊んで気づけばボロボロ
小学校のグランドには本当に小さな丘みたいなのがあってそこで遊んでました
滑ったり、友達と走って登ったり
うんていやタイヤみたいなのもあってそこでひたすらくぐったり登ったり
よく転んで怪我したな
あちこち擦り傷とか
あとは中庭で横になって寝てましたね
上組小学校って珍しくてプールが温水プール
あとビニールハウスみたいになってるので雨の日でも全然出来たんですよね
まじでこんな丘
ここで友達とよく遊んでた
結構珍しい方だったのかな
プールが苦手
今だに泳げないんだよな
この頃からまじでカナズチでしたね
潜れない、泳げない
最初は本当にプールが嫌いでした
ただ体育は勉強しなくていいからそれは本当に良かった
潜ってもの探すとか無理だったな
まじで嫌い
雪国ならでは
冬になると雪合戦をめちゃくちゃしましたね
これは雪国ならどこでもやったんじゃないですか?
冬は登校の時、スキーウェアで登校
これなんでかというと授業でクロスカントリースキーがあった
体育館にいく廊下にずらっとスキーの板があった
ここから自分に合う板を探して授業する
ここでさっき登場した丘
ここで上から滑り降りる
そんなこともした
学校から帰る途中、大きな建物があってそこに大きな氷柱ができてるからそれを雪玉で落とすのにハマってました
今考えるとあぶな
給食の時、他の学校はよく分からないけど、うちの学校は給食を上の階にあげるエレベーターがあった
これすごくありがたかったな
この時すごく思ってたけど人用のエレベーターないんかいって
楽をしたかったんだろうな
ずる賢い性格してんな
小学校ではマラソン大会があって
これは大好きだった
走ることがとにかく好きで
3、4年生は1位だったなー
足早かったんだよね
5.6年のマラソン大会は友達と独走状態だったので最後にダッシュして勝ち負けを決めることしてましたね
もちろん負けて2位 ウケる
この頃から走るのが好きで、今ではもう小学校ではないかもだけど
部活があった
もちろん陸上部
長距離が好きだったから長い距離を走る練習してた
T&Fとかにも入ってたな
一応部長やってて大会では選手宣誓とかしてた
もちろん悪ガキだったんで今の時代じゃ考えられないけど、よく廊下に立たされてた
あとは体罰もあったからこの頃は酷かった
でもおかげで強靭なメンタルは鍛えられた
僕と同い年くらいの人たちはわかってくれると思う
この時代はすごかった
担任の先生がまたすごくて
1年間で作文100枚とか
これねーきつかった
結果70枚くらいだったかな
達成できなかった
意思が弱かったんだろうな
ただこの先生、1学期分の計算ドリルを1ヶ月で終わらせたら好きなことを1日していいっていう日を提案してきた
もちろん達成
カードゲームで遊んだりゲームボーイでも
今思い返すとあっという間の6年間だった
楽しかったし友達もたくさんできた
本当に充実した小学校生活だった
そして卒業式当日熱出すっていうオチ
新潟県 長岡市
宮内中学校
創立 1947年
この場所で僕の青春の3年間を過ごした
写真は立て直したもので昔の写真がなく今こんなに綺麗なんだとびっくり
もう僕の知ってる宮内中学校では無くなってた
なんか寂しいな
てか羨ましい
入学式
この時はめちゃくちゃ緊張した
前回の最後に書いてあった通りで卒業式に熱を出したため
まだ当時は結構貧弱体質で体はめちゃくちゃ強い方ではなかった
無事入学式を乗り越えられた自分をこの時は褒め称えた
小学校に比べると同級生も多く流石に友達できるか不安だった
中学校は小学校に比べると勉強が格段に難しくなった気がする
当たり前だけど
勉強が大の苦手な僕からしたら毎日苦痛でした
宿題もかなり難しくなり悪戦苦闘
特に小学校の時にはなかった英語が本当にダメでしたね
小学生の頃からなんですが、チーズが苦手で、この頃はまだ全部食べないといけなかったのでチーズが出た時まじで最悪でしたね
性格上、ものすごく人見知りだったんです
なんで、この頃から友達作りには苦労しました
なかなか自分から話しかけにいくこともできずに待ちの体制
本当に苦労した
ただ同級生がみんな優しく声をかけてくれたので助かったなー
中学生になると体育祭
これは燃えましたね
やっぱ勝負事は楽しいし盛り上がる
体育祭とかクラス全員で力を合わせるような行事はチームワークもよくなり今後のためになるのでいい経験だった
この頃から応援団いつかしてみたいなって思ってましたね
楽しそうで
何か一つのゴールに向かって頑張るようなものってなかなかないのでやる気も起きる
放課後の練習や、中学生になると応援団とかもあって、小学生とは比べ物にならないような迫力のものができる
こういう経験は今になっては貴重
ここからは部活の話
小学校からそうだったんですけど、中学校ももちろん陸上部でした
小学校とはレベルが違く、メニュー内容、練習の量、走る距離
なにから何まで違う
今までは走るのがとにかく楽しかった僕にしてみれば本当に辛かった
僕は長距離だったんですけど毎日5キロとかは普通だった
この時はまだ特に目標もなくがむしゃら
目標をしっかり作れば良かった
初めての陸上大会
目標がないまま走り続ける毎日
そんな中初めての陸上大会
通りあえずがむしゃらに走った
もちろん結果は全然だめ
部活の友達はみんな頑張っていてしっかり結果出てて羨ましかった
そこで自分も頑張ってればよかったな
陸上は上の大会に行くためには順位だけでなく、基準になるタイムが決まっていてそのタイムに行かないと上の大会にはいけない
この頃から、まずは上の大会に行けるように一周のラップ、日々の目標などをしっかり決め練習に励んだ
目標が決まると練習の意味合いも大きく変わってきて充実した
中学校になると新しい行事も増える
合唱コンクール
各クラスごとに指揮者、ピアノを選び、ソプラノ、アルトなどのパート選び
ここでも僕の中では大きな問題にブチ当たる
なんと、みんなやりたがらないのか僕が体調不良で学校を休んでる時に勝手に指揮者にされていた
これは本当に衝撃で最悪だった
やりたくなかったし
抗議の結果指揮者になりました
最悪
ここからは地獄
あとあと家族から聞いた話なんだけどプレッシャーからか、寝ながら指揮をしていたらしい
結構追い詰められていたと思う
あと、プレ発表会があってその時にめちゃくちゃミスをしまくった
結果そのミスが今後を大きくかえた
悔しくて、毎日毎日練習
ピアノと指揮を合わせる練習をひたすら
同級生の励ましもあり頑張れた
コンクール当日
コンクールは指揮者賞、伴奏賞、合奏賞がありそれぞれ優秀賞、最優秀賞がある
本当に悔しく練習に励んだ結果
クラスで三冠
本当に嬉しくいい経験になった
今思うと中学校は小学校とは全然違い、明確な目標やしっかりとした行動
それに対する結果と反省の繰り返し
その積み重ねが大事だったと思った
行事も増え、個人ではなくチームワークの大切さや、チームの統率
この頃から人生において大事なことを学んでいたんだな
当時は気付きもしなかった
あっという間に中学校生活も終わり
中学最後の日
卒業式
卒業式は泣きましたね
中学生活は新しい刺激、先輩後輩の上下関係、目標や課題、行動などの組み立て
チームワーク、統率
小学校とは全く違う、少し大人に近くなっていっていたような気がしました
また高校も人見知りがでなか不安もあり少し精神的にしんどくもあった
ちなみに高校は推薦で合格
県立見附高校
1962年 創立
義務教育を抜け高校生に
この頃から大人になったなと少しづつ感じ始めてた
また自分の中で決め事をしていてそれを実行する覚悟を持って挑んだのを覚えてる
流石に人見知りはしたなー
高校生活において絶対にすることを中学生のうちに決めておいた
それは
・体育祭の団員になる
・生徒会に入る
この2つは絶対にやると決めて入学
中学ではなあなあな学生生活だったので高校になって少しは目標を最初のうちからもち、有意義な学生生活を送ると決めていた
あとは部活
今まで小学校から中学校までずっと陸上一筋でやってきて、中学の時に現実と自分の実力の落胆した
成果もなかなかでず苦しい3年間だったので高校生になったら違う部活も経験しておいてもいいかなと
結果逃げになったけど違う部活に
僕には兄弟がいるのですが兄弟が2人いて兄弟2人ともやっているので同じ部活にした
それは
そう
硬式テニス部
兄弟がやっていたということもあり
陸上と、全く違う硬式テニス部に
これがやってみると難しくて楽しい
みるみるうちにハマっていき
挙句の果てにはスクールに通うまでどハマりしました
意外に奥も深い
テニスって結構頭も使うんですよね
戦略を試合中のほんの数秒で次の一手を決めないといけない
また判断力も
思った以上の過酷さにビビりました
今までこんなに頭で考えることなかったので勉強にもなった
やってたことのある人ならわかってくれるはず
またその後部長になる友達とダブルスを組み切磋琢磨できた
この時、前衛を守っていたけどそれが楽しすぎた
ドロップや股抜きなど
これが成功した時はテンション上がる上がる
さあここできました体育祭
しっかり目標達成
応援団員しました
ちゃんと立候補して見事になりました
むしろなりたい人いなかった
おかげでやる気もでる
やることも多く、段取りや曲
曲に合わせたダンス
高校生ともなるとそれなりのものを要求されるので大変だったな
同級生をまとめるのもひと苦労
あと最大の難関があって
それが
【ブレイクダンス】
そんなのやったことないしもちろん出来ない
かなり練習もしたしこの時ばかりはしにもの狂いでやった記憶がある
ただ、その時の先輩たちもみんな優しく、夜学校じゃないところで練習したりするのも初めてで楽しくできた
今でも感謝してる
あと高校生活といえば
そう
みんな大好き修学旅行
僕たちは沖縄に
楽しみすぎて夜も眠れない位ワクワクしてたなー
ただ僕たちの学校少し変わってて、まだ沖縄暖かいのにダメージジーンズ禁止、肌の露出禁止
いや、めちゃくちゃ暑いじゃん
本当に暑くてきつかった
なんか我慢比べしてる感じ
それこそ首里城は圧巻だったし、修学旅行なんで、防空壕も行った
他にも色々行った
防空壕はびっくりしました
本当に真っ暗
1センチ先も見えない
皆さん行ったことありますか?
空気も全然違うし、この中ずっといたら精神的にもかなりキツくなると思った
友達との思い出もでき、その土地の風土、地元の人たちの温かさにもふれることができて貴重な体験になった
あとはこういう課外授業的なのを経て集団行動のあり方や、個々の責任などとても勉強になった
またいく機会があれば違う景色に見えると思うので楽しみにしている
もちろん、買ってはいけないところで買い物をしてしっかり怒られました
そして第二の目標
生徒会
しっかり入りました
ただ、この時部活が楽しすぎてやらない予定にしていたんですけど、先生にどうしてもやってくれと頼まれ、条件つきで生徒会に入った
結果入ったから良しとしよう
僕が生徒会で任されたこと
それは体育祭の司会
文化祭の司会
割と大きいものを任され、今まで言っても数十人をまとめるだけだったが、今回から全校生徒をまとめないといけない
これがびっくりするぐらい大変
体育祭はトラブル続き
音響もならない
座組をしてもいくら練習してもそろわない
本番が不安でしたがどうにか話術で切り抜けました
文化祭の司会
これに関しては、基本的に前夜祭がメインで当日はトラブルがないか見回る程度だったのでそこまで大変ではなかった
体育祭のこともあるので、意外に臨機応変に対応できるようになってて、自分ですら成長してるなと感じた
人生初のガングロメイクをしたのも記憶にあります
意外に陽キャみたいなことしてたな
マッキーでやったので落とすのは地獄でした
そんなこんなで卒業式
3年間早かったなー
高校3年間は自分の掲げた目標をしっかり達成し、行動もできたので人生においてとても貴重な3年間でした
しっかりと有言実行するためのパワーや精神
思いの外体力を使うもんなんだと気付かされた
責任感や使命感なども培われ大きな成長になった
新潟理容美容専門学校
新潟ではかなり有名な美容の専門学校
そもそも美容師になったきっかけなんですけど
【自分自身が癖毛で悩んでいたから】
高校生まで髪の毛に興味もなく、癖毛や直毛などの種類もわからなかった位
高校の時の先輩の一言
【北村って癖毛だよね】
この一言で人生が180度変わった
その一言で高校生活がものすごく苦しくなった
思春期でもあったので
その時縮毛矯正に出会い人生で1番の感動と衝撃を受けた
そして癖毛に苦しんでいるのを見てきた親に
そんなに嫌ならお前が美容師になってその悩みを自分で解決して、他の癖毛で困っている人を助けろ
この一言で美容師になると決めた
美容学校は厳しく、12日の欠席で強制留年か退学
今思えば、お客様商売において遅刻や欠席は許されない
そこからもう学びがあったんだなとあとになって気付かされた
当時は厳しすぎない?と生意気なことを思っていた
美容の専門学校てこともあってみんなオシャレで圧倒されたの覚えている
まず初めにワインディング
自分で言うのもなんなんですが、めちゃくちゃ不器用なんです
ビビる位
このてのものは大の苦手
今まで色々経験しましたがむずかった
全然できやしない
ブロッキングがものすごく大事なのに真っ直ぐ取れない、引き出しかた、面の綺麗さ、ゴムかけ
何をとってもだめ
性格上、飽き性であんまり同じことを続けることができなくて、その性格も相まって最悪だった
センス云々の前にそもそもの話
ただ、試験には合格しないとなので同級生と切磋琢磨したのがな懐かしい
そのおかげもあって、続けられたし合格もした
ただ、授業は立ちっぱなしなのでそれもきつかったな
あとはオールウェーブ
これね本当にむずい
まじで出来なかった
そもそも、ウィッグ作りで根潰しって言って髪の毛の根元も膨らみを綺麗に潰さないといけないのがあって、適当だったつもりはないんだけどひどく失敗してた
この頃から自分が突き詰めてやるのが出来ない性格なんだなと感じた
ただ治そうという気にもなれなくてなんとなくで生きてきてんのかなって
オールウェーブは手が汚れる
ローションを使って固めていくので毎回洗い物や片付けも大変
それもやだったな
後にも先にもこれが最も嫌だった
今だにうまく出来ないと思う
たくさんのカールや細かな配置
美容師の大変さを知った
ローラー
これは簡単だった
多分今まで引き出し方とか面の綺麗さとかをたくさん練習したからかすんなりできた
これは手も汚れないし、準備物も少ない
巻く量も少ない
僕にとっては最高の技術だった
この授業だけは何故かテンション高かったな
カットはグラデーションボブ
多分本当に不器用なんだと思う
全然うまく切れなくてイライラしてたもんな
左右も違うし、毎回引き出しの角度も違ってグラデーション違うし
この頃、感覚でやりすぎてたんだなと思う
もっとしっかり考えて意識をしてカット練習に臨むべきだった
地頭も良くなかったんかなー
今の各技術からカットと何かの2つで国家試験の課題になるので発表まで色々練習してたな
流石に嫌ってほど練習してたからそれなりには形になるようにはなってきた
続けることには意味があるんだな
でも下手な部類ではあったからしっかり居残りっていうね
まだ遊びたい欲もあって美容には向き合ってなかったな
今考えると自分の性格がいかにダメだったかよくわかる
何をしても続かない
考えず感覚だけに頼る
適当
めんどくさがり
向いてなかったんかなー
この頃は全然学校も美容も楽しくなかった
早く卒業したかった
また色彩検定もあり同級生と勉強していたが自分だけ不合格
かなり落ち込みましたね
なんで自分だけできないのかしっかり深掘りしていなかった
国家試験も近づき、追い込みに
勉強はもちろん1番の課題の技術
嫌でも練習
毎日9時頃まで居残り
最も必死にやっていたと思う
そして緊張しやすく、手も震えるタイプの人間なんでそれも不安だった
筆記はそれなりに出来ていたから、過去問もしっかり解いてとりあえずは安心
国家試験は本当に緊張した
実技はこんなに人前でやるのは緊張するんかいって位緊張
めちゃ手も震えたし、多分カットラインもバラバラだった気がする
僕の時は最後のローラーだったのでそこだけは安心できた
ただ落とした時の掛け声とか指切ったらほとんどおしまいだったから丁寧に
そんなん当日できるかいって突っ込んでたな
筆記は新潟ではなく、県外にしたので旅行気分でいった
試験も始まりページをめくると全然わからん
過去問解けてたのに?って
とりあえず必死に解いたけどすんごく不安な感じで終わり
就活もその時から経営者になりたくて、それが叶いそうなところに決めていた
ここで僕の学生生活は終わり
ただ長い間、学生生活をしてきたけどここまで納得がいかないのは初めてだった
美容師として
挫折を経験して
店長として
独立
今後について
美容師になって
まずはじめに国家試験に落ちるという挫折がありました
実技は合格、筆記が不合格
この時点で精神的に病みましたね
筆記を舐めすぎていた
誰にも言えない、でも就職先には言わないといけない
葛藤と戦いながら伝え、それでも就職でき安心
ただ国家資格を持っていないとお客様の髪の毛に触れられないので1日中チラシ配り
朝から晩まで
そのあと練習
これの繰り返し
ただ美容学生の時みたいになりたくなくて考えながらやっていました
不器用には変わりないので、一生懸命にやるしかなく、それでも各項目合格できなくてつらかった
それでも練習
練習をしながら国家試験の勉強
美容の国家試験は年に2回あって、一回だけ前回の合格したものは免除される仕組みなので、必死に勉強
無事に合格して、やっと美容師になれたと実感した
営業でもお客様に携わることもできる
会話もできる
いっきに仕事が楽しくなりました
技術試験に向けてやる気も出た
挫折を経験して
国家試験の不合格を経て、意外にできるかもという安易な考えをするのをやめた
自分の根本の考えを改めるきっかけになった
一つ一つの試験に向けて考え練習、復習
これの繰り返し
不器用には変わりないので人より数をこなす
数をこなす中で絶対に数さえこなせばいいと思ってる時もあった
こういう時は考え直し、やり直し
これを永遠にくりかえす
この反復でどうにか試験にも合格するようになってきた
その中で、お客様との信頼関係などを築けて毎日が楽しくなって、仕事が楽しくなってきた
人に名前を覚えてもらう嬉しさが初めてわかった気がした
無事スタイリストになる試験にも合格して、自分の中ではやっとスタート地点に立てた気がした
スタイリストになって、アシスタントの時、名前を覚えてもらったり、会話をして信頼関係を築けたことが大切だったことに気づいた
指名をしてもらえるようになったから僕の中では、楽しく話ができればいいと思っていた
でもそれが如実に今後の自分のためになっていたのに感動した
店長として
これまたものすごく大変だった
店長になった時、他のスタイリストが全員僕より年上
これ経験した人いると思うんですけど、結構困るんですよね
先輩だし強く言えない
ただ自分で店長になりたいと言った手前そんなことも言えず1人で考える毎日
そもそも、経営者になりたくてその会社に入社したので店長は経験したかった
そのため、毎日考え先輩一人一人に合わせて対応を変えるしかなかった
その上で得意、不得意もわかってきて臨機応変な対応も少しずつはできるようになった
あとは、先輩方はみなさんいい人だったので意外に意見もしっかり言えたし、ものすごく苦労することもなかったかな
そして会議やミーティング、その他資料作りも勉強できた
数字の面でも色々勉強できて経営者になりたい自分にとっては願っていた環境になれてよかった
また、店舗としての目標達成などの経験でき、一つ階段を上がれたように思えた
独立のことも視野に入れられるようになってきて、モチベーションも上がってきた
独立
まず初めに面貸しとして独立
セット面のみを貸してもらい、材料や集客に関しては全部自分でする
その代わり、毎月売り上げから席料を払う仕組み
このおかげで、1人で施術するにあたっての時間単価、生産性、原価なんかも1から考えることができていい勉強になった
また僕は面貸しだったけど、他の美容師の方は業務委託だったので、その働き方も勉強できた
接客や技術スピード
通常のサロンに比べると全くと言っていいほど違う
その違いを目の当たりにして結構びっくりした
こんなにも同じ美容師でも違うもんなのかと
コストに関する考え方も違った
ある程度面貸しサロンで働いてそろそろ自分のお店を持ちたくなってきた
物件を探しながらの毎日でようやく見つけることができた
ここでもいい出会いがあり、大家さんにも本当によくしてもらいすんなり契約することができた
隠れ家みたいなサロンを作りたかったので思ってた感じの場所が借りれてラッキーでもあった
これからが勝負で
面貸しサロンで働きながら空いてる時間は出店の準備、保健所やメーカー、ゴミ業者、タオル業者、その他備品の購入
また内装業者との打合せ
もちろん出店は初めてなのでてんやわんや
こんなに大変なんて思ってもみなかった
ましてや、働きながら合間にやるべきことではなかったなー
【何気ない日常に何か1つプラスしたい】
を理念に掲げたお店
Alwon
を12月オープン
髪質改善メニューをメインにし、お客様の髪の毛が少しでも綺麗になるように言葉でも伝え、体感してもらえるように徹底した
また、自分自身も勉強しさらに喜んでもらえるよう努力もした
一緒に働いてくれるメンバーもいて、生半可な気持ちでもダメ、このサロンを一生続けていけるよう子のもの狂いで休まず働いた
まずは目標3年で安定した経営や予約状況にすること
この目標を達成できるように考えたし、自分のできることは全てやってきた
そのおかげで、お客様もついてくれて安定してきた
一緒に働くメンバーに感謝
そしてこれからについて
髪質改善関係は世の中に溢れかえってきた
今まではこれでよかったのかもしれないけど今後は違う視点の考えも必要になってくる
高齢社会、少しでも若く、綺麗でいれるようにしたい
髪の毛だけでなく体の中から、頭皮、お肌など
あらゆる角度から勉強していきたいと思っている
てかする
そして今後は筋肉と美容に関してやツボと美容に関して勉強し少しでもお客様や世の中の綺麗でいたい方のためになる発信をしていきたいと思います
そのためにこれからも美容という大きな枠で物事を考えていき行動に移していく
それが目標
今回の自己紹介で幼少期から現在に至るまでが終わりになります
6日間毎日20ページという投稿しみてくれた方に本当に感謝しています
何ものでもない僕ですけど、今後も目標に向かって走り続けていきます
お付き合いありがとうございました
これからもどうぞ北村をよろしくお願いします
